時とともに感じる「贅沢さ」とは?
「一瞬で幸せになれるカルテ」というテーマで、ヴォーグに携わる人々にそれぞれの「幸せになる方法」のアンケートをとりました。ヴォーグ ジャパン11月号(10月28日発売)のある特集のためだったのですが、その答えは、好きな食べ物や、香りや本、友人とのお酒など、当然、千差万別。私も聞かれていたのですが、うっかり締め切りに間に合わず誌面には参加できなかったので、この場をお借りしてその答えについて考えてみることにしました。
まず、「一瞬で」幸せになるには、そのきっかけや方法はシンプルでなければなりません。子供の頃から遡って、日々の営みの流れを静かに心に浮かべてみます・・。なにやらそこには赤いものが見えてきました。しかし、たちまちのうちに変化して、それは黄金を帯び、たおやかな紫色に染まり、やがてすべてが輝く紺色から透明な闇の世界に吸い込まれてゆく。私は昔からその移ろいゆく過程に偶然遭遇すると、まず「Lucky!」と思い、心が懐かしさとともに澄んでゆくのを感じます。「夕焼け」と呼ばれるその一瞬の自然現象に出会うと、「地球って回ってるんだ。今日はこうして終わるけれど、やがて明日がやってくるのだな」と当たり前のことに気づき、心の中にこだわっていた小さなことが遠のいてゆくような感覚に包まれます。私が夕焼けを好きなのは、それだけでなく、刻々と変化するその「とどまることのない美しさ」にもあると思います。すべては流れ、消えてゆくもの。それこそが、最高に贅沢な「美しさ」なのではないでしょうか。
「時間」は存在するのか? とは哲学や物理学の分野でもいまだ確かな解のない命題だそうですが、「贅沢さ」というものは常に時間の感覚とともにあるように感じます。制作に何時間もかけるオートクチュールのような贅沢もあれば、一瞬に消えるからこその贅沢さもある。私にとって夕焼けは、別れのしるしでもあり、始まりの予感でもあります。その流れに身をまかせること。とどまるよりもさまようこと。常に移ろいゆく宿命にあるファッションというものに愛着を感じざるをえないのも、そんな感覚と無縁ではないような気がするのです。